今日は家族の退院のため、病院へ迎えに行ってきました。
一時は、迎えに行くのをためらうほど、ショックでしたが
そうではありませんでした。
いつかこんな日が来ることを、きっと、きっと、わかってたはずなのに。
コブクロさんの「蕾」の歌詞が思い浮かびました。
お母様を亡くされた時に、書いたと何かで聞いたことがあります。
いつかこんな日が来るのかと思っていた日が、遂に訪れました
まず、昨日書いたことですが、せん妄による症状だったことが、行ってみて確認できました。
入院病棟の看護師さんに電話で聞いた時は、普通だと話していたので、まさかそんなことになっているとは思いもしませんでした。
マスクは、自販機で買ったものでした。
今日、話してわかったことですが。神経質になっているようです。
荷物の片づけをしていて、わかりやすいように、すべての荷物を出して、テレビ台の上にマスクを置くと、ムキになって「汚いから」と荷物をおく反対の台に移動していました。
テレビの静電気を気にしたのかな
借金はしていませんでした。ベッドは空いていて、どなたもいませんでした。
水は、お金があるだけ2本だけ買ったようで、後はお金がないので水道水を詰めていたそうです。
水道水は、冷蔵庫に入れておくと、腐ると思っていたようで。
冷たい水を飲むと、痛みが出たそうです。
では、保存は冷蔵庫に入れておいて、しばらく出しておいて飲めばいいじゃないと言ったのですが。
やはり冷たいのが欲しいようでした。
病院は、温かいので冷たいのが欲しかったのでしょう。
私がついてから、しばらくすると医師が説明にきました。
今回の脱水症状は、腎臓のお薬である利尿効果のあるお薬を、ご飯をしっかり食べれていないのに、薬をしっかり飲んでいたからだと。
水分を摂取していないのに、水分を出す薬を飲んでいたわけですからね。
これから、抗がん剤治療をするのは、難しいと。
これだけ、体力が落ちたのは、抗がん剤の副作用によるものだと。
一番のネックは、ご飯が食べれないことにあります。
これまでは、しっかり食べれていたので、抗がん剤治療を復活しましょうかということだったのに。
それに耐えられないとなると・・・
緩和ケアを考える必要があると言われました。
今後のことは、相談してと。
抗がん剤治療も今回で4回かな?ともなると、勧めることはできないと言われました。逆に体に負担をかけることになるかもと。
そうすると、痛みを抑えることだけということになります。
すると、がん細胞が元気を出して、いずれは転移それから生きていくのも難しい状態になることは、簡単に予想できます。
おじさんも、緩和ケア専門の病院に入院していて、亡くなるという事態になりました。まだそこまでは行っていませんが。
看護師さんに、着替えをして用意していてくださいと言われ、着替えを始めたのですが、少しそばを離れてナースステーションに行って、戻ると怒られました。肝心な時にいないと
着替えを始めたけど、動いて疲れたようで、病衣のズボンを脱いだ後、だったので、寒かったのかな。
途中でベッドに横になって。布団をかけてほしかったようです。
布団をかけてもらうなら、ナースコールすればよかったのに。
お薬を準備してもらって。動くのがしんどそうだったので、車いすを借りるかどうか本人に聞きました。すると、そうしてほしいと。
看護師さんに聞くと、フロアの車いすは、フロアに返さなければいけないので、1Fの入り口のを借りて返すといいですよと言われました。
体調が悪い時に、車いすに乗ったことはありますが、まさか自分がこんなに早く押すことになるとは、思いもしませんでした。
エレベーターに乗るにも、なかなか難しいですね。
患者さん用のエレベーターに乗ろうと思ったら、違うエレベーターがいいと。
すると奥行きがないので、奥にぶつかってしまいました。
一緒に乗っていた看護師さんに、今度向こうのエレベーターを使うといいですよと言われました。
たぶん、もう退院だから向こうのエレベーターに乗りたくなかったんだと思います。
今日のお昼は、コーヒーとバナナと蒸かしいもだけとなりました。
家族は、お腹が空かないと言って、バナナと牛乳だけ。
バナナは進んで食べてくれましたが、牛乳はせめてと私が言って、ようやく飲んでくれました。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。